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tnoma:

これまでToughシリーズにはTG-8**、TG-6**、TG-3**の三つのラインナップが存在していたが、このTG-1はToughシリーズ最上位のフラグシップモデルに位置する。それまでの最上位モデルだったTG-820とそのタフさを比較すると、JIS/IEC保護等級6級(IP6X)相当の防塵性能、-10℃までの耐寒性能、2.0mからの落下にも耐える耐ショック性能や100kgfの耐荷重性能などはTG-820と同等だが、防水性能については水深12mまでと更なる深度まで耐えられるようになった(TG-820は水深10mまで)。 (via OLYMPUS Tough TG-1 - デジカメWatch)

研究発表を見るときには、「どういう方法でそのデータを出したの?」という点が気になります。これは、研究者の主張の価値を判断するのに、「研究方法」が大きな関与をするからです。

「研究が正しい研究方法(実験計画とか実験技術、実験条件)の元でなされたものである」ということは、発表された研究結果の価値を判断するための大前提です。そのために、学術論文等で研究結果を発表するときには、実験方法や実験材料の丁寧な記載を求められます(Material and Method、略してマテメソと呼ばれます)。

この項目を書く目的は、「実験結果が正しい方法によって得られたかどうかを、読者が判断できるようにする」「実験を再現して、その正しさを第三者が確認できるようにする」の2つ。マテメソがきちんと書かれていないということは、研究の価値を正しく判断できないという点で致命的です。

そして、第三者が研究者の研究内容を伝えるときも、このマテメソの最低限のところはきちんと伝えないといけません。そうでないと、研究内容について誤解とか不当な評価を与えてしまう可能性があるからです。もちろん、論文のような詳細な記載は必要ありませんが、ここは書かなきゃいけないという「勘所」だけは外してはいけないのです。

ところが、「マテメソがうまく書かれていないマスコミの科学記事」なんてのは、よく見かけます。今日見かけたのは、こんな記事。マテメソがうまく書かれてないので、内容が判断できません。

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トマトで「酔い覚まし」 アサヒとカゴメ共同研究 - 47NEWS(よんななニュース)


お酒を飲むときにトマトを一緒に食べると、血中アルコール濃度が低下する―。こんな結果が、アサヒグループホールディングスとカゴメの共同研究で明らかになった。トマトが体内の酵素を活性化させる。両社が25日発表した。  

研究で行った実験では、トマトジュース缶3本(約480ミリリットル)と焼酎約100ミリリットルを同時に飲んだところ、トマトジュースを飲んでいない場合と比べて、血液中のアルコール濃度が約3割低下することが確認された。体内にとどまるアルコール量が約3割減少した計算となる。
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この記事では、「トマトジュースと焼酎を同時に飲むと、トマトジュース(の成分)によって、血中アルコール濃度が下がる」と書かれています。しかし、この文章だけでは、この結論を支持することはできません。

その理由は「トマトジュースを飲んでいない場合と比べて」の部分にあります。この部分で「トマトジュースを飲んでいない場合」がどのような条件なのかが書かれていないので、結果が正しいのかどうか判断できないのです。

この実験では、「トマトジュース480mLと焼酎100mLを同時に飲んだ時」と「トマトジュースを飲んでいない場合」を比較しています。この「トマトジュースを飲んでいない場合」というのをどのように解釈するかが問題です。

もし「トマトジュースを飲んでいない場合」を「焼酎100mLだけを飲む」と解釈するならば(そして、それは解釈の可能性としておかしくはない)、「トマトジュースによって」と言い切ることはできません。

この実験では、「焼酎100mLとトマトジュースを480mLを同時に飲む」状況を作っています。これだけ多量のトマトジュースを飲むと、焼酎はトマトジュースによって薄められ、アルコールの吸収量が変わる可能性があります。また、消化管の中の液体量が非常に多くなるので、それだけでアルコールの吸収スピードが落ちる可能性があります。もし、この可能性が正しいのなら、トマトジュースは「成分」によってアルコール量を下げるのではなく、「たくさんの量を飲んだから」アルコール量を下げたことになり、研究者の主張は成り立たなくなります。

このような場合、「トマトジュースを飲まない場合」という状態をつくるには「焼酎100mLと水480mLを飲む」状況を作ることが必要です。「トマトジュースを多量に飲んだ時のアルコール吸収量」についての考察をするには、「トマトジュースでないものを大量に飲んだときのアルコール吸収量」と比較する必要があるのです。単に焼酎を消化管の中で薄めた時と比べてもアルコール吸収量に差があるのであれば、トマトジュース(の何らかの成分)によってアルコール吸収量が低下するという考察が可能になります。

このように、「焼酎100mLと水480mLを飲む」状況を作ることを「対照をとる」といいます。「対照」という考え方は、科学の世界では、非常に基本的な考え方です。このトマトジュースの研究についても、おそらくプロの研究者が行った実験であれば、必ず対照が取られているはずです。

まさか対照をとってないことはないよな、ということで、カゴメの公式サイトのプレスリリースで確認しました(元記事にはリンクが貼られていませんでした)。

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カゴメ株式会社 > 企業情報 > ニュースリリース > 2012年 > アサヒグループ、カゴメ共同研究トマトが飲酒後の血中アルコール濃度を低下させることをヒトで確認~酔いの

ヒトにおいてトマトジュース缶3本(約160ml×3本)と焼酎甲類(ストレート約100ml)の同時摂取試験を適正飲酒量にて実施したところ、トマトジュースを飲んでいない場合(対照として水と焼酎甲類を摂取)と比較して、血液中のアルコール濃度が顕著に(最高血中濃度として約3割)低下することを確認しました。
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(対照として水と焼酎甲類を摂取)という記述があるので、たしかに対照が取られていることがわかります。この表現があるだけで、この研究結果に対する評価はガラリと変わります。マテメソがきちんと書かれていれば、研究結果の評価もきちんとすることができるのです。

実は、この研究についてのマスコミの記事をツイートした時には、この結果に疑問を抱くレスポンスをいただきました。それは、「マスコミの記事の中に対照についての記述が書かれていないため、「トマトジュースの量」が影響しただけではないか」というものでした。私は、「研究の大前提として対照が取られているもの」だと思い込んでいたのですが、言われてみれば対照を取ったことが明示されていない以上、「単なる量の影響」という読者の解釈も問題のないものです。

「対照」について書かれていないだけで(しかも、自分たちの出したプレスリリースにはきちんと書いてあるのに、マスコミによる記事には書かれていないという状況によって)、せっかくの研究結果がネガティブ(もしくは質が低い)と受け止められてしまうのは、研究者にとってはたまったものではないでしょう。

研究者からのプレスリリースのなかの「対照」についての記述というのは些細なことのように見えますが、実は研究内容の信頼性に関わる「勘所」です。このような勘所は、研究の世界にいないとなかなかつかみにくいものかもしれません。しかし、情報を正確に伝えるためには、このような「勘所」についてはきちんと把握しておいてもらいたいなと思います。

そして、マスコミが不十分な記述をしていたとしても、疑問に思った読者が、研究者自身の主張を直接確認できるようにすることも必要です。論文なりプレスリリースなりの、正確な一次ソース(リンク)を提示する、という事を徹底してほしいものだと思います。

家がなくなっても金がなくなっても家族さえいれば幸せ。そうした主張は、貧乏人の不満をそらしたい金持ちにとっても、家族以外に何も持ち物がなくなってしまった貧乏人にとっても、どちらにとっても都合がいい。結果、そうしたテーマの企画ばかり、グリーンライトをともされる。マーケティングの鬼であるアメリカ映画業界を見ていれば、あの国の本質が透けて見える。そろそろ投資しているみなさんは要注意、である。

私自身は、自分の組織が高木氏の批判に晒された経験が2回もある。対応に多くの時間を割いたことも、上司から「高木氏は君の知人じゃなかったのか?」と責められたこともある。どちらも、誰も被害に遭わなかったかもしれないような過ちだった。

そうした指摘が無くても、高木氏の批判に晒されないよう、脆弱な部分は無いか検証し、誤解を招くような表現は無いか確認してきた。同じように、多くの顧客にサービスを提供する心ある担当者は、ナマハゲを恐れた子供達のように高木氏を恐れ、それは結局、自分達の提供するさ―ビスが人様に迷惑をかけないものであるかを確かめる行為と同じなんだって分かっている。

批判に晒された人、免れた人、どちらの中にもそう思っている人が多くいるから、高木氏のBlog、Twitterを参照し、拡散している。その価値は、まだ黎明期にある情報セキュリティにおいて、貴重なものである。

そんで、それらの人たちに共通することがあるのに気づいた。それらの人たちには、あるセリフが言えない。 「できません」  これです。これが言えない。  なんで言えないのかっていうと、善意があるから。まず最初に「なんとかしてあげなくちゃいけない」って考える。「なにができるか」ではなく「なんとかしなくちゃ」なんである。「なんとか」ってなんだ。それは客が「わからん」って言ってる状態を「わかる」ようにしてあげなくちゃいけないということだ。  やー、それ無理でしょ。人によって理解のポイントって違うから、わかるようにしてあげるためにどこまで掘り下げてやればいいのかがまずわからない。そこんとこじっくりつきあってたら、キリない。仕事における質問と回答は「さしあたって目の前の事態をどうするのか」というとこに最大の力点が置かれる。置かれるべき。効率の問題があるから。一人の単価が何十万とかになる商売なら話は別だけど。  つまり、これらの人たちには、善意はあるけど「現実的な最適解」はない。そういうことなんじゃないかと思った。  別に善意があるのは悪いことじゃない。善だしな。悪くない。ただこれって、彼我の前提が同じでないと成立しない。土俵が同じでないと善意は通じない。相手は客で、こっちは店員だ。そりゃ誠実さのカケラもない対応をしちゃったらどうじようもないけど、本質的に客が求めてるのは「結果」だ。その結果に対する誠実さは必要だろう。場合によっては「できない」と断ることが誠実さだったりもする。
「努力すれば報われる」に代表される、世界は正しく動いているはずだという考え方を公正世界信念といい、この信念が強い人ほど、少数者や弱者への否定的な態度を持ちやすい。という話を知ったときは、社会心理学を学ぶ中で一、二を争う衝撃だった
 日本は特に「わがままを言うクレーマー」「ルールの隙を突く悪質なプレイヤー」の為に多大なコストを払っていて、それをそれ以外の人が支払うコストで埋め合わせている。
 言ったもん勝ち、やったもん勝ちのとても美しくない仕組みだ。

 なのでこの「飛行機は客を運ぶのが本分、客室乗務員はホステスじゃねぇ。」というのを、客全員に向けて開示したのは悪くないと思う。
 これ、たぶん思いつきで書いたんじゃなくて、今まで有ったクレームの中で面倒だったものをピックアップしてるんじゃないか。
 クレーマーというのは、クレームつけて勝てると思っているから、クレームをつける。
 最初から「そのクレームは受け付けない」と書いてあるのは効果がある。

 もちろん「快適な空の旅を!」という会社もあるんだから、そっちがいい人はそっちを選べばいい。

 旧来のサービスの行き届いた航空会社としては市場を荒らされてたまったもんじゃないだろうが。
 その高付加価値商売が、付け込まれる隙だったのかどうかはコレから解かることだろうし。

 あとコンビニ店員はもっと不愉快に仕事してても全然かまわないと思う。
 牛丼屋とか、ファミレスとかもさ。

 賃金に見合った労働以上のものを求める世の中は、労働者すべてにとってウザイだけだ。

スカイマークに見る対価に対する労働の上限とか。:島国大和のド畜生 (via ginzuna)

これは何回でもreblogしたい。 ~したもん勝ちってのが、言う奴もやる奴も大嫌い。

(via holhos)

(via ikaserohi)

野口

僕もエベレストで2回「失敗」しましたけどね。2回目なんかは山頂まで行って、あと300メートルのところで天気がパッと急変したんです。そこで、行く、行かないってなりながらも、下りてくるわけです。

僕とパートナーを組んでた奴が行っちゃいましてね。彼は僕より100メートル登って、突風でやられてゴーグルが飛んじゃいまして、紫外線で目を潰されました。結局は遭難して、彼は手の指を10本中7本なくしちゃいました、凍傷で切断して。足の指も落としたんです。命だけは助かりましたけど……。

佐々木

もう登れない。

野口

登れないですよ。僕は引き返したから、全部あるわけじゃないですか。でも、帰ってきたらね、一般的な扱いはもう「失敗」ですよ。

佐々木

まあ、端から見てると、「あと300メートル」って言われれば、なんか「もう少しじゃない。登ってきてよ」っていうふうに思っちゃうんでしょうね。

野口

8,000メートル級になると、100メートル登るのに1,2時間くらいかかるんですよ。

佐々木

そんなに、大変なんですね。

野口

あのときは「失敗」って言われて、そこで初めて、植村直己さんが最期にああいう日記を書いて亡くなった意味がよくわかりました。彼はずっと「冒険とは生きて帰ること」って言いながら、冒険をしてきた人間ですよね。ずっと日記を書いてるんですけども、それを直己さんの奥さんに一度見せてもらったんです。「もう死ぬかもしれない。凍傷にやられた」、「もう死ぬかもしれない」っていう言葉がいっぱい出てくるんです。最後の最後に「何がなんでもマッキンリーに登るぞ」で日記が終わって……。

この「何がなんでも」っていう言葉は素人が使う言葉なんですけども、いわゆるそういう世界で長く生きている人は、基本的に「何がなんでも」っていう言葉はないんです。「何がなんでも」っていうのは、言葉を変えれば、「いかなる状況下においても決行せよ」っていうことじゃないですか。自然を相手に、植村さんなら、そんなことするべきではないってよくわかってるはずですよね。だから、その彼がどうしてなのか、と。

佐々木

わからないですね。

野口

その後、僕はエベレストを2回「失敗」しました。行く前には「頑張れ、頑張れ!」って言ってた人がパーッて引いていくのが、よくわかるんです。日本っていうのは、行く前はすごいんですよ、「頑張れ!」って。でも「失敗」した時の反動っていうのがね。

佐々木

自分の周りにいなくなっちゃう?

野口

はい。2回目のエベレストは「失敗」したっていう認識がなく、帰ってきました。全部、いい判断だったんですね。突っ込めば、死んでいたわけですから。だから、これは結構、自信につながったんです。「よくあそこで帰るって判断できたな、あれは大成功だったな」と思って帰ってきたら、まあ基本的に「失敗」なんですよ。

佐々木

撤退することが、正しい判断だし、勇気でもあるのに、失敗したといわれ、謝れといわれる。

野口

だから、今、韓国隊、中国隊、ロシア隊がぼろぼろですよ。失敗したらたたかれるから、絶対に帰れないって、危なくても突っ込んで死んでしまう。そういう隊は、ほかに気も回らないから、ゴミも出す。ほかの隊に比べて余裕がないからゴミも多いんです。